あれはもう17年、8年前になるだろうか。

 あの事は、今でも鮮烈な印象として、脳裏に焼きついている。建設会社を経営していた頃のことである。三世帯住宅を建て替えるために既存の40坪ほどの平屋建ての木造住宅を解体するときの事であった。 その家はかなり古い家で、内部の造作や外壁、瓦等の外観から少なくみても築後7、80年は経った家であった。

 若夫婦が期待に胸躍らせる一方、老婦の表情がなぜか沈んでいる。家族と共に椅子に腰掛けて見守る中でいよいよ解体工事が始まった。重機がうなりをあげて、まるで腹をすかせたハイエナがえものに群がるように、その家に食いついていく。じっと見つめそして必死に耐えてきたであろう老婦の顔に涙が一気に溢れ出した。自然と寄り添いその小刻みに震える肩に手を廻した老父の目にも溢れ落ちそうに涙がたまっていた。

 人間である以上、誰でも大事にしているものは一つや二つは必ずあるものである。例えば、それをガラスのコップとしよう。誤って落として割った時に、誰もが悲しい思いをするはずである。 語弊もあろうが、しかしそれは同一のコップがあれば買い求める事で済むだろう。しかしこの情景を現場で目の当たりに見ていた私には、それとは全く違う別のものが他にあるように思えたのである。 その形がなくなるのは、前例と同様であるが、民家は人間の暮らしを長い期間支え守り続けてきた、いわば大きな器である。

 個々の人間の営みがそれぞれの形で受け継がれてきたのである。

 多分そこで出生等の祝いもあっただろうし、冠婚葬祭も執り行われたはずである。 つまりその家を支え守ってきた柱、梁等の木材は、(無論木材ばかりではないが)その家の歴史を見守りそれを刻み込んできたのではないだろうか。 老夫婦が流した涙は、形の消滅のほかに脈々と流れてきたその歴史の消滅と終止符に起因するものであり、それは「すまない」と言う謝罪の涙であり、「今迄ありがとう」という感謝の涙だったのではないだろうか。以来、ただ「もったいない」という気持ちが、重機から割り箸みたいに折られ千切られ、悲鳴にも似たあの音を聞くたびに、罪悪感にも似た思いに変わっていった。

 この事が結果的にこの仕事に足を踏み込ませた所似である。

 世の中、全てに便利になった(結果ツケが回ってきた)。家の解体も今は、前述したように重機によりあっという間に解体され、と言うよりは潰され、一週間程度で跡形もなくなってしまう。当然の事ながら、彼ら(解体材)は屑、ゴミと化してしまう、屑であるから誰も焼却処分されて灰になってしまう事に特別な感情も懐かないし、当然疑問に思うこともないのである。以前は違っていた。まず解体ではなく、「家を解く」といっていた。

 つまり次に使用することを視野に入れての解体であり、当然手作業になるからだ。 最近も明治時代の民家を手作業で解体したが、様々な場所に解体材が使われていた。手作業である故に、手間と時間と費用も嵩むが、ただ灰にしてしまう事よりはるかに意義があり、重要な事だと思う毎日である。 もちろん彼らには、次の活躍の場を与えなければならない。京都古材バンクの会の方法もすばらしいアイディアだと思う。私は建て替えの際に手ばらしでより多くの材を確保し、それを可能な限り使用することを提唱している。その歴史を継続させるためにも!

 確かに彼らに再び命を吹き込むことは、少々手間がかかる。

 まず解体の際に付着した泥砂、小石等を高圧洗浄機で洗い流し、釘を抜く。

 この作業なくしては前には進めない。そのほとんどが腐食して肉眼では見えないため、金属探知機に頼る他はないし、後はノミで掘りペンチで引き抜く以外方法はない。

 おまけに歩留まりも悪いからである。

 「ここまで手間をかけて、採算にあうのか」と心配していただくか、彼らだけがもつ特徴をご紹介すれば少しでも納得いただけるものと思う。

 木材はその持つ性能により、建築はもとより家具その他に数多く使われているのは改めて述べる必要はないが、

 使用に当たっての最も重要な必須条件が乾燥である事はあまり知られていない。

 木材に水分がどれくらい残っているかを示す指標に、含水率という言葉がある。 乾燥材と呼ばれる材の含水率は12%くらいと言われている。わが国の平均湿度が12%前後であることからである。

 長野県の工業試験場が築後26年の住宅の構造材の含水率を調べたところ、小屋裏材においては含水率が12%という結果がでている。つまり完全乾燥材なのである。

 天然感想材と人工乾燥材については長短分かれるところだが、人工乾燥が短期間(通常杉柱材で一ヶ月程度)で含水率を下げれるのに対して、彼らは一定の環境の中で長い月日を経て徐々に12%の含水率に到達するところに大きな違いがある。

  それはまるでウイスキーが樽の中で熟成されるのと同じように、この期間により木材が乾燥過程で出る反り、曲がり、割れ等の癖が全て出尽くし、硬く強く軽く虫害不朽菌変色等の予防など本来木材に求められる大方の条件を満たしてしまうのである。

 更に建築材料としてグリーン材(伐採直後製材された木材)や、人工乾燥材は。生まれて初めて剪断、曲げ、引っ張り等の宿命とも言える力を経験するのに対して、彼らはすでに十分経験しているのである。

 荷重に対してどういうふうに受けて、支え、逃がすかの要領を心得ているのである。

 少々の手間と時間をかけてでも、また歩留まりが悪くても彼らに再び命を吹き込む意味が、少しでもご理解いただけたら幸いである。

 私は、今、建替えによる住宅を施工中であるが、築後100年くらいの住宅を手作業で解き、歴戦の勇士を余すことなく使用している。部所によっては、釘穴やホゾ穴が見えるが、彼らが他の仲間(人工乾燥材)よりは、一際光って見えるのは、私の彼らに対する思い込みのせいばかりだろうか。